À la recherche du temps perdu 衣の構造について
- Hamanaka Akiko

- 1月23日
- 読了時間: 2分
更新日:1月25日
衣服の構造は、見た目よりも先に、考え方を表す。
和裁とは、着物とは、仕立て直しを前提とした衣服である。最初から「一度きり」を想定していない。その思想が、構造のすべてに組み込まれている。
ミシンで縫わない理由は、懐古でも、手仕事礼賛でもない。針目を残さないためである。絹針と手縫い針で入れられた縫い目は、解いて洗うと、不思議なほど跡を残さない。布は元の状態に近づき、繊維は静かに塞がる。
だからこそ、異なる身体、異なる時代に合わせて、再び仕立て直すことができる。同じ布が、別の寸法を受け入れる。その余地を最初から失っていない。
多くの衣服は、完成形を目標に設計される。最終的にどう見えるか、どう見せるかが先にあり、そのために布が切られる。一方で、和裁の構造は逆を向いている。布がまず存在し、その布が、何度関係を結び直せるかが考えられる。
直線で裁たれた布は、身体の曲線を固定しない。歩くとき、座るとき、年月を経たとき。布はその都度、別の位置に落ち着く。その柔軟さは、未完成さではなく、時間を受け入れるための構造である。
親の着物に手を入れるとき、向き合うのは過去の完成形ではない。保管された時間、着られなかった年月、身体の変化。それらすべてを含んだ、現在の布である。
構造を理解するということは、元に戻すことではない。いま目の前にある布が、どのような仕立て直しを許しているのかを読むことだ。
和裁が死なない理由は、そこにある。衣服が、時間を拒まない構造を持っているからだ。




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