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PASSIONEER


À la recherche du temps perdu ― モンテ・クリスト伯
マルセイユの海と空の境界線、そして袖に宿るChâteau d'If。自ら描いた地中海のデッサンが、友禅職人の手によって世界に一枚のオートクチュールとして生まれた青い訪問着 フランスにいたころはデッサンばかりしていた。毎日ものすごく。今から思えばそんなことは当たり前で。キュビスムを先導したピカソ、「泣く女」を見てるといたずら画に見えるかもしれない。でも、彼のデッサンは息をのむ、圧倒される。基礎がある。 マルセイユにいったとき。地中海を初めてみた。なんと美しく見えたことか。パリには海がないからマルセイユで空と海の境界線が消えた時、ただただ港に座って時を忘れていた。 遠くにChateau d’if が見えた。港の前にはちょうどカフェがあって、テラスに陣取って海を描いていた。周りの人たちが声をかけてくる。 「どこからきたの?」 「何を描いてるの?みせて」 エスプレッソ1杯でテラス席に居座るほど度胸はなくて、 「なにか甘いものある?」 「Tarte au citron. 最高におススメ、夏にぴったり」 パリに住んでいたのにこのTarte au...

Hamanaka Akiko
4 日前読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu —線の先に見えるもの
フランスの伝統的な大判画用紙「Raisin(レザン)」に刻まれた、若き日の線の集積。サン・シュルピス教会 学生時代はデッサンや写生に明け暮れていた。石膏の胸像、ヌードデッサン、屋外での写生。さまざまなものに目を凝らし、うつしとっていた。毎日夢中で鉛筆やペンを走らせていた。 フランスの伝統的な大判画用紙「Raisin(レザン)」に刻まれた、若き日の線の集積。右側中段が、あのムフタール通りのデッサン。 ある日ムフタール街に写生に出かけた。それぞれ思い思いの場所を見つけ座れるところを確保し、carton(画板)を抱える。一階がカフェになっている建物を描いていたわたしは、細部を確認したくて建物の前に歩み寄った。車が停まっていて、目の前のボンネットはちょうどよい高さの机になった。 ボンネットの上にcartonを置きペンを握るわたしに、目の前でくつろぐMadameが声をかけようとした。おそらく車の持ち主だったのだろう。ところが、隣に座るMonsieurがそれを手で遮り私に向かってにっこり微笑んだ。 フランスでは、学生や若者、あるいは職を求める人々に対しても、

Hamanaka Akiko
7月9日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu —2枚のスカーフと衣服の記憶
フランスの友人がくれたエルメスのスカーフは2枚。1枚は私が立ち上げたブランドのお祝いにと蛍の思い出と共に贈ってくれた。もう一枚は数年前、旦那様のおばさまが愛用していらしたという一枚。こちらは、絵柄が正統派でこれこそフランスというような貴族が騎乗している柄。どちらも私にはかけがえのない宝物。日本の養蚕業が歴史的にフランスと深く関わり合いを持っていることなどを考えると、これら2枚のエルメスも、より感慨深いものになる。友人が私のために選んでくれた柄だけに、より一層愛着を感じる。エルメスというブランドをどう着こなせばいいだろう。 私が愛してやまない、日本の紬や染め物たちと一緒に。100年を超える手織りの紬。フシだらけの売り物にならない紬は、本来農閑期の冬の仕事として織るものだったが、現在ではその価値が見直されて非常に尊いものになっている。硬く目の詰まった織は簡単には敗れず、激しい労働にも耐えうる素晴らしい衣服だ。その紬を現代の鎧として新しく蘇らせたのが私が作るコート。 100年を超える白紬の重厚な質感に、フランスの気品が美しく溶け込む。ダスターコート「狭

Hamanaka Akiko
7月2日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu —エルメスのシルクと、17年前のリヨンの記憶
フランスの友人から贈られた、エルメスのシルクスカーフ。時を経ても色褪せない、最高峰の手仕事。 2009年。はじめてリヨンを訪れた。学生時代の友人が家族と共にリヨンに移り住んだ。 初めて歩く街は学生時代を過ごしたパリとは全く異なる顔を見せた。 ローマ帝国時代の遺跡が残り、おさんぽコースとして何気なく楽しむことができるし、はるか昔歩いたであろう古代の人々の足音を聞けるような気さえする。 夢中になってデッサンしていたころがふと懐かしくなった。友人も子供ができ家族のために時間を割き自分自身の時間などあってないようなもの。そんな時間旅行を過ごしていた。 お互いに一段落したような気になり、20年ぶりに再会した。お互いの変貌ぶりに驚愕するのはどこの国でも同じだろうが、思い出よりも現在のことを話すことに夢中だった。 Lyonの街は日差しが明るいせいか。または、空がよりよく見えるせいか、広く感じた。建物の色もなんとなく明るく感じた。ところが、旧市街と呼ばれる地域に迷い込んだ途端、異世界を体験する。中世より続く石畳が、空が見えない建物の並

Hamanaka Akiko
6月25日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu —Yukata Haute Couture_ 自分で縫い、自分で纏う。
貝の口に帯締。椅子に座れる帯結び。 自身で仕立てたものに手を通す瞬間。それは今まで味わったことのない快感だ。 袖を通すまでは恐怖さえ感じていたものが、瞬時に喜びへと変わる。 その瞬間に立ち会えることも教えるものとして大きな喜びだ。 自分に体にぴったりとしなやかに。 浴衣に着られるのではなく、自身がまとう。 ここに大きな違いがある。 ミシンでは糸が強すぎて生地が引っ張られ生地が裂ける。 手縫いでは糸に余裕を持たせ、遊びを生むために、生地が動く。 手縫いを着こなしてこその醍醐味であり、体験したものだけが理解できる感覚。 いつの間にか浴衣が夏だけの儀式になり、特別な衣服になり、安価な使い捨てになった。 お仕立てがすめば今度はどんな帯結びにしようかと考える。 昨今はイスの生活のため後ろに寄りかかれるものが良いこともある。 となると、定番の文庫結びはちょっと厄介だ。お太鼓も潰れてしまう。 私が推奨するのは貝の口に帯締。 軽くて型崩れを心配せずにいられて大人っぽい。 帯どめも遊べる。 Kai-no-kuchi" — Obi Styling for Mode

Hamanaka Akiko
6月18日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 浴衣オートクチュール —
江戸・明治の女性たちが伝えた和裁の技 母の世代の人たちは自身で浴衣を縫えたらしい。もしかしたら、現在も授業の一環として浴衣を仕立てる学校(専門学校以外)が存在するかもしれない。伝統工芸を守っていきたいこちらとしては非常に嬉しい活動である。しかしながら、実務的な合理性を求めるならこれもまた時間が足りない現代の風潮に反している行動なのかもしれない。AIが全てをまかなえるよう進化する現代、職人の技術くらいはせめて守りたい領域ではある。 浴衣はご存知の通り、木綿の単。一番気楽に和装を楽しめる。構造も至ってシンプル。いやいや、一反の反物から生まれる着物は浴衣であろうと絹物であろうと同じ構造である。 8枚の布から成り立っている。裁ち方を一度理解すればあとは自分で好きなものをどんどん縫うことができる。デザインというものが存在しないからだ。だから決して難しいことではない。好きな生地を見つけたら自分の身体にぴったりの寸法で自分の手でお気に入りの浴衣を仕立ててみるのはいとも楽しきことではないか。 和服は仕立て直しが前提の衣類。痩せても、逞しくなっても、再度解いて

Hamanaka Akiko
6月11日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 浴衣オートクチュール —
浴衣は年齢を気にせず、かなり大胆に遊べる着物のひとつ。 夏の代名詞として語られているが、起源は湯上がりに着るバスローブ。「帷子(かたびら)」と呼ばれていた。手ぬぐいで簡単に水分を拭き取ったあと、さっと羽織って外に出たのか、それとも色っぽく異性を誘っていたのか。 現代とはお風呂屋の様子も異なるが、想像は膨らむばかり。 浴衣オートクチュールが奨励する、二つ目のわがまま。 それは「袖の丸み」。 何も要求しなければ、自動的に和裁士が丸みを決める。 基本的には「5分」と呼ばれる、2cmの丸み。着物もほぼこれで仕立てられる。 でも、実は丸みも袖丈も自分で決められる。 知らないって、mottainai! 着る人の「わがまま」を叶える、浴衣オートクチュールの袖の丸み。 年齢を重ねていると、袖の丸みは小さくするのが決まり。 でも、若い頃を思い出して、うんっとまあるくしてみたくなる時はありませんか? 浴衣のみ、それが許されます。 元禄袖みたいに、ぐわっと丸くすることだって! 歳をとってから着物に目覚めたとなると、お袖の丸い着物を味わうことはできません。 だからこそ。

Hamanaka Akiko
6月3日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 浴衣オートクチュール —
背縫いを共布の背伏でくるむ。たった一手間が、浴衣の品格を変える。 背縫いに共布で背伏を作り、背縫いをくるみます。そうすることで、背中心を2度縫いすることになり、より丈夫な背縫いになります。 居敷当をつけなくなっている昨今、この、背伏でくるむ方法は非常に理にかなっています。 しかしながら、非常に面倒で手間がかかります。 果たしてどれくらいの仕立て屋が、共布背伏を作っているでしょう。 そもそも、お客様は背伏の意味さえ知らずに浴衣のお仕立てを任せているのではないでしょうか。 なんて、MOTTAINAI! お話ししたように、背伏を共布で作ることから始めなくてはいけないので、そこからお手間ではあります。でも、そのちょっとしたことが、どうでもいいように見えることが、居敷当を不要とし、より快適な着付けにつながり、真の浴衣オートクチュールと言えるのではないでしょうか。 次回はお袖の丸みと袖丈についてお話しします。 You may never wear a kimono. But you can wear the art of Wasai. On ne porte

Hamanaka Akiko
5月28日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu — 浴衣オートクチュール —
竺仙籠染。表は縞、裏は隈取。 一枚の反物に、二つの表情。 そろそろ浴衣の季節だ。東京では三社祭が終わると浴衣に袖を通して出歩いていいという暗黙の了解があるらしい。地方によってはその土地でのお祭りが指針になったりするのだろう。縦に長い日本では季節の移ろいがかなり異なるのが常だから。 和裁は最近では海外縫製も盛んで、多少お安くできるからか海外縫製を選ぶ方も増えている。 正直私より腕のいい和裁士なんて数え切れないくらい存在する。 でも、PASSIONEERが提供するのは 浴衣オートクチュール。 好きな反物だけを決めてあとは自動的に浴衣が仕上がってくる、ちょっとだけ勿体無い。 和裁はオートクチュールだ、フランスのメゾンと何ら変わりはない。 一流のブランドのメゾンで行われていることが、和裁の世界では太古より何の疑問もなく 行われている。 日本人はそこに気づいていない。 和裁はオートクチュールだ。 寸法を図り、一人一人別々に丁寧に心を込めて、仕立てている。 柄があれば、袖を通す人が一番美しく見えるように考えて針を通す。 何も言わなければ自動的に仕上がってくる

Hamanaka Akiko
5月21日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu— なぜ和裁は手縫いなのか —
洗い張りをされた児玉博氏の型紙のよるそめの反物 なぜ和裁は手縫いなのか。当たり前のようにオートクチュールが行われている。非常に特別なことのはずなのに、古来よりの習慣のためか誰もその希少価値に気づかないし、気づこうとしない。しかしながら、さすがに木綿の浴衣などは、ミシン仕立てが進出してきている。理由は簡単。浴衣など、もう、誰も縫い直してきようなどと思わないし、そこまで着つくす習慣も残っていない。 私が幼き頃は、母や祖母の浴衣がオムツになり、雑巾になり朽ちていった。散々使われてお役目終了となり、土にかえる。 しかし、今現在、布オムツを使用している親がどれほどいるのだろう。果たして、浴衣の残骸布オムツなんて存在するのだろうか? この写真は、単の着物を解いたあと洗い張りをしたもの。 かなり汚れていた単衣だった。 改めてみると、人間国宝の児玉博氏の落款。そして、縞染の染師浅野 榮一氏は児玉氏の型紙しか使用しない。色合いはダルな感じ、手染めの温かみのある、それでいてなんとなく鈍い深み。これはもしかして浅野氏によるものなのかしらと一人考えてしまう日々。..

Hamanaka Akiko
5月15日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu— なぜ和裁は手縫いなのか —
七五三の着物を染め直し、仕立て直した。七歳のときの蝶が、今も舞っている。 私の七五三。この白い着物が、やがて深い紫へと生まれ変わる。蝶の柄は、そのまま次の命へ。 和服が仕立て直し前提の衣服であることは周知の事実です。 和裁用の針はこと更に細く、ミシンの針穴とは異なり、解いて洗うと針穴がふさがります。元の反物に戻ります。よって、新たなものに仕立て直しが可能です。 着物とはかくもサステナブルな衣服です。 着丈が将来のばせるように内揚げをたっぷりとる。 更に子供用には肩上げ、腰上げと、成長に合わせて長さを調節できるように工夫をします。年齢とともにお仕立て方法もかわります。 では、切られなくなった着物を一体どのようなものに変えられるかをお話します。 ひとつの反物を一生の伴侶にする。 振り袖を留袖や訪問着に。 これは一般的によく知られています。 他に長襦袢、羽織やコート、帯へ。 道行は最終形のため、道行から羽織にはできません。 生地により向かないものもあります。 長襦袢は羽裏に。2部式に変えて、羽裏とオソロイなんてゆうのも、お洒落です。...

Hamanaka Akiko
5月7日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu— なぜ和裁は手縫いなのか —
縫い糸を解いて洗い張りし、再び一枚の反物の姿へと蘇った絹布 和裁が「手縫い」である、唯一無二の理由 和裁は、最初から「仕立て直し」を前提とした衣服です。 ミシンで縫えば、布に針跡が残り、解いた時にその傷は消えません。だからこそ、和裁の針は極限まで細く、しつけ糸さえも洋裁用に比べて繊細です。道具のすべてが、洋裁とは根本から異なります。 「布を傷つけず、再び反物の形に戻せるように縫う」。この思想こそが、仕立て直しを可能にしているのです。 1300年続く、生きたオートクチュール 反物から一人ひとりの体に合わせ、一針ずつ命を吹き込む。この技術は1300年以上前から続く、完成されたオートクチュールです。 今、本場フランスの名だたるメゾンでさえ、オートクチュール部門は既製服(プレタポルテ)の波に押され、その存続が危ぶまれています。しかし、和裁の世界はどうでしょう。 反物から仕立てる文化が続く限り、日本のオートクチュールは決して消えることのない、世界に類を見ない強固な技術なのです。 仕立て直しの出発点となる美しい絹の反物 「安さ」と「スピード」が奪う、衣服の未

Hamanaka Akiko
4月30日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 洋装で見れば、緋色のパンツにド紫のジャケット
緋袴は名古屋帯となり、今もAkikoの腰に巻かれる。祖母から母へ、そして私へ。 この緋色の帯は曾祖母の緋袴を仕立て直したものであり、今も健在だ。 祖母から母へ、そして私の手元に来たときは母の名古屋帯になっていた。祖母が母のために名古屋帯に仕立て直したらしい。 体格のいいわたしには少々短いが背中に手が回る限り締められそうだ。 この宮中で穿く女性用の袴、実は世界に類を見ない仕立て方から成り立っている。緋袴の色に目を奪われて仕立て方までなかなか思いが行きつかないかもしれないが、紐解くとそれはそれは摩訶不思議な仕立て方法になっている。 正式には長袴と呼ばれる。それまでは足首までだった袴が、奈良時代からの石畳の立礼から寝殿造りの座礼に変化したのが影響していると考えられる。 構成は長方形襠布を用いた特殊なもので、その縫製は女袴の他には見られない。材料は主に紅の平絹。あるいは綾だが、曾祖母の袴は平織だ。 引きずって歩いたり、畳の上で擦れたりすることが考慮されているのだろう、非常にしっかりとした密度の高い平絹である。 滑らないので帯として締めるには非常にいい

Hamanaka Akiko
4月23日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 掌の上の御大典
曾祖父母の参列時の服装 1928年、昭和天皇即位の礼のおりの写真。曾祖父母が宮中に参列したときの写真。 このころはまだ京都でおこなわれたらしい。その前の大正天皇即位の礼はなんと、二条城も関連の場として使われたらしい。昭和天皇のときは京都御所(紫宸殿)で執り行われ、2日に渡って饗宴が行われたとか。曾祖父母はこのお式に参列。 掌に残された宮中の記憶——昭和御大典とボンボニエール 衣装は当時の京都大丸に特注。曾祖母はどうしていいやら全く分からないから、当時曽祖父の副官についていたオヤマ氏が全てをとりしきったらしい。おすべらかしも曾祖母の自前の髪。どんなところで結ってもらったのだろう。 日本では大正期から昭和初期にかけて、宮中でボンボニエールをお土産として配ることが通例となり、一応相見積もりさせていろいろなところから仕入れている。 曾祖父母が受け取ったものがどこでつくられたものかはわからないけれど、華族たちが手にしていたものとはやはり作りが異なるかと思われる。 資料を調べると、大饗宴で銀製のモノが配られていることがわかるのだが、曾祖父母がいただいたものは

Hamanaka Akiko
4月16日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 眠り姫、100年の目覚め
1928年、昭和天皇御大典。曾祖母はしきたりに則り小袿姿で参列した。この衣装が、100年の旅を始める。 1928年、昭和天皇御大典に参列した際の曾祖父母の写真。曾祖母は宮中参列のしきたりに則り小袿(こうちぎ)姿で参列。嫁として嫁いだ祖母は、なんと戦後の食糧不足の時期にもこの衣装だけは売らずに手元に残した。姑が生きていたからという理由があるだろうが、それにしても誉だったことがよくわかる。 1958年、曾祖母の孫にあたる私の母が嫁ぐことが決まる。祖母はなんと、この小袿一式を嫁入り道具のひとつとして自ら布団に仕立てた。小袿だから何枚も重ね着をしているのだがそれらをすべて解き、一枚の布に戻した。これも和裁のなせる技。解いて仕立て直しができる。着物ではなく、布団に!祖母は嫁ぐ娘のために布団をこしらえ娘に持たせた。ところが。父と母はこの布団で寝ることはなかった。農家出身の父が、おそれおおいと嫌がったらしい。かくして、布団に変わった小袿は押し入れの奥で長い長い眠りにつく。70年を超す長い長い眠りから目覚めた眠り姫は、今度は異なる相手のために美しさを見せることに

Hamanaka Akiko
4月9日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 着物は完成しない
解いて、広げて、時間をかけて考える。誰の袖を通るのか。90歳になった母のもとへ帰るのか。 1950年代の母の振袖を2010年代に娘の成人式の着物にするため染め変えた。深い深い海の底の色にしたため、金彩のみが浮きだった。神秘的な外見が、娘の未知なる未来を暗示するかのようで、不安や好奇心をかきたてた。 その、染め変えた振袖ももう、着られなくなった。そう、着物は姿かたちをその時々で変えて生まれ変わる。直線裁ちだからこそできる生地の生命。絶えることのない命。着物はただ保管して100年生きるのではない。姿を変えて我々の前に現れる。100年前には想像もしなかったであろう姿になることもある。 娘は振袖はもう着られない。着物には、伝統的な規則がある。この神秘的な深い青をどう活かすべきか。解いて、広げて、時間をかけて考える。 誰の袖を通るのか。90歳になった母のもとへ帰るのか。 ハサミを入れるのはまだ先だ。 そしてもう一枚。赤い小紋も、その役目を終えようとしている。 さあ、この子はどんな形になり、どこへお嫁に行くのやら。 冬は終わりではない。次の命への静かな準備.

Hamanaka Akiko
4月2日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu/色は変わり、命はつながる
手描きの金彩が白地の宮殿をきらめかせていた——絹に織り込まれたバロックの輝き。 母の成人式の写真 このころはロココ調やらバロック調が着物業界で流行っていたらしい。 戦後の復興、追いつけ、追い越せの風潮と西洋へのとてつもない憧れがデザインに現れている。 母の成人式の着物は白地にエンタシスの柱、宮殿が鮮やかに描かれていたらしい。そして手描きの金彩がふんだんに使われ、宮殿がよりいっそうきらびやかに輝く。 母はその着物で父とのお見合いにでかけ、結婚式でお色直しにこの着物に袖を通した。 春の宴のように華やいだその日、白地の宮殿はひときわ輝いていたに違いない。 いうなれば、父との出会いを一緒に潜り抜けてきた相棒である。 着物は洋装と違い、年と共に色や柄に制限がかかる。 最近は洋服文化が浸透し派手な色目の着物をきることも可能になってきたが、さすがに成人式の振袖を60歳で着ることははばかれる。かといって、捨てるにはおしい。 母の人生を一緒に歩んできた時間の証言者なのだから。 和服は仕立て直しが前提の衣類である。 この大前提の掟にのっとり、わたしは娘の成人式の着物

Hamanaka Akiko
3月26日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu/なぜ世界のデザイナーは縮緬を使わないのか
強撚糸で織られた一越縮緬のシボ。着物の動きとともに美しいドレープを生む。 世界のファッションデザイナーはシルククレープをよく使う。しかし日本の縮緬はほとんど使われない。なぜだろうか。 その理由は単純だ。 縮緬は着物という構造のために設計された布だからである。 まず知ってほしいのは、着物の生地である反物の幅だ。反物の幅は約38cm。この幅がまず世界基準を満たさない大きな理由である。 生地の幅が38cmしかないとなると、洋服のような立体裁断やバイアス利用を考えるとそもそも難しい。これがまず着物の生地が洋服に使われない大きな理由のひとつだ。 現代の着物でよく問題になるのが裄の長さである。昨今は日本人も体格が大きくなり、若い世代は腕も長い。そうすると、反物の幅が38cmしかない場合、同じ地の目で袖を作ることが難しくなる。 西洋服 着物・縮緬 広幅生地(120〜150cm) 反物(約38cm) 立体裁断 直線裁ち 重力で生まれるドレープ 動きで生まれるドレープ 安定した織物構造 強撚糸によるシボ 洋服のように生地を横にして使えばいいのでは、と簡単に思われる

Hamanaka Akiko
3月19日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu/Hajitomi, structural silence存在が作者から離れるとき
自ートには、和裁の技術がふんだんに用いられている。実際に着物を着なくても、着物を仕立てる技術を身にまとうことは可能である。このコートは、そのことを物語っている。 表地に用いたのは置賜紬。紬は先染めの糸で織られるため表裏の区別がなく、単衣のコートには理想的な素材である。多少の雨に濡れても染みになりにくく、縮むこともない。 単衣のコートとして成立させるためには、裾に広がりが必要になる。洋服であればAラインに裁断するところだが、着物は直線裁ちで仕立てられるため、その方法は取らない。代わりに「まち」を入れて裾の広がりをつくる。 さらに、長い着丈を落ち着かせるため、裾には真綿を入れている。現在では本物の真綿を用いることは少なく、羽二重やさらしを薄く挟む程度の仕立てがほとんどである。しかしこのJFKコートには、真綿をたっぷりと詰めてある。裾を軽くつまむと、そのふっくらとした感触がはっきりとわかる。 張りのある紬の生地の中に、ふんわりとした柔らかさが潜んでいる。空気を含んだ真綿が長い着丈を静かに落ち着かせ、歩くたびに裾が風に揺れる。 まるで着物のように。 なん

Hamanaka Akiko
3月12日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu/形態の必然/衣服が存在を始める瞬間
衣服の境界が閉じられた瞬間、存在が始まる。 衣服は、裁断された瞬間に生まれるのではない。縫われた瞬間でもない。形になったときでさえ、それはまだ完全には存在していない。 衣服が存在を始めるのは、動き出すことが可能になった瞬間である。 和裁において、その境界を決定する工程のひとつが「フキ出し」である。表地と裏地を合わせ、縁をわずかに調整しながら、針を進めてゆく。 このとき行われているのは単なる始末ではない。それは、二つの層が互いの位置を受け入れ、衣服としての輪郭を確定する作業である。 この工程によって、衣服の動きは決定される。 針は布を貫通するが、破壊はしない。絹糸は布を固定するが、拘束はしない。 すべては、将来解かれることを前提として行われている。 和裁の縫いは、常に可逆性を内包している。それゆえ、この瞬間は完成ではなく、存在の開始である。 フキに詰められるのは真綿である。繭玉をひとつひとつ手作業で広げ、一枚の層へとする。それを細く伸ばし、裾の内部に均等に置いてゆく。 真綿は空気を含み、呼吸する素材である。重さを支えると同時に、動きを妨げない。.

Hamanaka Akiko
3月5日読了時間: 2分
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