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À la recherche du temps perdu — 一生物とは

執筆者の写真: Hamanaka Akiko
Hamanaka Akiko
3 日前
読了時間: 2分
光にかざした紬の生地、節のある織り目が浮かび上がる様子
均一ではない糸が、かえって強さになる。



一生物とは。

思い切って買い物をするときにも、使われる言葉。

金額と品物の価値が釣り合っているかどうか、考える。その方程式が当てはまらない時がある。

時間の経過。思い出。歴史。

私が扱う紬。友禅とは異なる素朴な美しさ。


農閑期に売り物にならない屑繭を紡いで自分たちの衣服とした。素朴だが力強い、強い意志を持つ衣服。あまりに頑丈すぎて裏地を何度も取り換える羽目になる紬もある。

密度が高く、激しい農作業にも耐えうる織物。時間の経過がこれらの織物に価値を与える。自然物から産まれた織物は、時と共に人の手も加わり思い出となり、もはや価格とは異なる価値が生まれる。

柳宗悦は、これを「用の美」と呼んだ。使われることによって、初めて完成する美しさ。日常の道具が、使い込まれるほどに味わいを増していく。民藝の思想の核心にある考え方だ。

これは日本だけの感覚ではない。人類学者Igor Kopytoffは、これを「singularization(唯一無二化)」と呼んだ。祖母から受け継いだ銀食器、代々受け継がれる指輪。それらは、使われ、受け継がれるたびに、市場で値がつく「ただのモノ」から、値段では測れない「唯一無二の存在」へと変わっていく。

和服は、この singularization をもっとも現実的に叶える衣服だ。

手縫いのため、仕立て直しが可能。直線裁ちのため、反物に戻し、新たなサイズに作り直せる。これは、反物そのものの価値よりも、人の手が加えられたことによる付加価値だ。


以前、Fabric of Timeという記事で、私自身の七五三の着物について書いた。白地に蝶の柄が入ったその着物は、のちに深い紫へと染め変えられた。蝶の柄だけが、そのまま次の人生へと引き継がれた。


七五三で着た白地の着物を染め変えた、深い紫の着物
白かった着物が、紫となって還ってきた。柄だけが、記憶のままに。


七歳で袖を通した着物が、還暦を過ぎても纏える。singularizationが、もっとも静かに、もっとも確かな形で起きる瞬間だ。

100年過ぎても身に纏える歴史。

そのために、紬もまた、次の持ち主を待っている。


You may never wear a kimono. But you can wear the art of Wasai.

On ne porte pas forcément un kimono. Mais on peut porter l'art du Wasai.

— PASSIONEER

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