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PASSIONEER


À la recherche du temps perdu/なぜ世界のデザイナーは縮緬を使わないのか
強撚糸で織られた一越縮緬のシボ。着物の動きとともに美しいドレープを生む。 世界のファッションデザイナーはシルククレープをよく使う。しかし日本の縮緬はほとんど使われない。なぜだろうか。 その理由は単純だ。 縮緬は着物という構造のために設計された布だからである。 まず知ってほしいのは、着物の生地である反物の幅だ。反物の幅は約38cm。この幅がまず世界基準を満たさない大きな理由である。 生地の幅が38cmしかないとなると、洋服のような立体裁断やバイアス利用を考えるとそもそも難しい。これがまず着物の生地が洋服に使われない大きな理由のひとつだ。 現代の着物でよく問題になるのが裄の長さである。昨今は日本人も体格が大きくなり、若い世代は腕も長い。そうすると、反物の幅が38cmしかない場合、同じ地の目で袖を作ることが難しくなる。 西洋服 着物・縮緬 広幅生地(120〜150cm) 反物(約38cm) 立体裁断 直線裁ち 重力で生まれるドレープ 動きで生まれるドレープ 安定した織物構造 強撚糸によるシボ 洋服のように生地を横にして使えばいいのでは、と簡単に思われる

Hamanaka Akiko
6 日前読了時間: 3分


市川純の着物ドレス:構造が身体を横断した瞬間— オリンピック閉会式における蝶々夫人の残響 —
市川純、2026年冬季オリンピック閉会式にて。1970年代着物を再構築したドレス。 2026年冬季オリンピック閉会式。イタリアで活動する俳優 市川純 が登場した。 彼女が纏っていたのは、1970年代の布を再構築したピンクと黒のドレスだった。 それは単なる「リメイク」ではない。それは、構造の転換である。 着物は本来、平面裁断で構成される。布は身体に合わせて裁断されるのではなく、身体が布に合わせて調整される。 しかし今回のドレスは、立体として再構築されている。身体に沿い、動きに呼応し、舞台空間に対して拡張していた。 ここで起きているのは、「保存」と「破壊」の同時進行である。 1970年代の布は記憶を保持している。しかしその構造は変形している。 包む構造(containment)と解放する構造(release)が同時に存在していた。 それは、蝶々夫人 が象徴してきた「東洋」という固定像を、内側から再編集する試みにも見える。 オリンピックという国際舞台において、着物は民族衣装として消費されることが多い。 だがこのドレスは違った。 それは文化の展示ではなく

Hamanaka Akiko
2月23日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 有松鳴海絞りの浴衣と和裁文化|昭和初期の木綿と藍の記憶
祖母が日常着として着ていた有松鳴海絞りの浴衣。洗われながら時間を残している。 昭和初期、祖母が着ていた浴衣。明治初期以降、化学染料が広く普及し、本藍のように手間のかかる染めは急速に姿を消していった。この一枚も例外ではない。化学染料による濃紺。お出かけ着ではなく、常着。祖母は湯上がりに袖を通していた。 襟まわりには、今では考えられないほど厚い晒の汗取り。まさに生活の一部だった。 木綿の浴衣が庶民に広く行き渡ったのは江戸時代後期。木綿と藍は抜群に相性がよく、丈夫で洗えて、夏に適していた。絹は夢の衣服。庶民にとっては麻か木綿。その木綿に「絞り」という技術を加えることで、手間をかけたという誇りと、美しさと、機能性を同時に手に入れた。 なぜ浴衣になると絞りなのか。 代表格は有松鳴海の絞り。江戸時代、街道を行き交う旅人に豆絞りの手拭いを売ったことが始まりとされる。老舗の竹田嘉兵衛商店には、徳川家茂が、妻である和宮への土産として求めたという記録も残る。絞りという技法自体は、はるか古代、大和の時代から続く技術である。 絞りの浴衣を着ると、肌に凹凸を感じる。布と体

Hamanaka Akiko
2月19日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 緋色は、時間のかたちを変えて残る
緋色は老いない。 かたちを変えて、時間だけが残る。 曾祖母が宮中ではいていた緋色の袴。今は帯になっている。若すぎるこの色。 この緋色は曾祖母の生きた証。次の世代へ渡す時がくる。

Hamanaka Akiko
2月12日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu/不完全なまま、次の時間へ渡す
解いてもなお、時間は残る。誰かに大切にされてきた衣服は、次の行き先を静かに待っている。 連れ合いが亡くなったからと着物を数点いただいた。どれもこれも、みな、袖を通して可愛がった痕跡がある子たちばかり。愛されていたことがよくわかる。 自分で袖を通して楽しむこともある。お嫁にだすこともある。 薄物の一つ紋。色味も考えると格が高い。 そんじょそこらに、嫁がせられない。 この子が一番幸せになれる場所を探す。

Hamanaka Akiko
2月5日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu/直せる着物を、あえて直さないという判断
解いたら消えてしまう、先人の手仕事。 茶色の真綿紬。伏見家のお針子が自分の息子のために縫った普段着。けっしていいものではないけれど、昔の手仕事がすぐにわかる丁寧な紬、そしてなにより、皇室で働いた女性の手仕事がわかる、貴重な一枚。 母の友人がわたしの息子にと譲ってくださった。母の友人のお母様がお針子その人だ。 そんな形見のようなたいせつなものをいただくのは気が引けるものの、手仕事をこの目でみたいという、魅惑に勝てなかった。ありがたく頂戴した。 ああ、こんなところも一針入れるものか。 ここで固く結ぶのか。 我が息子に仕立て直して着せることもできるが。 ここは、わたしの教本として残そう。 解いたら消えてしまう、先人の手仕事。

Hamanaka Akiko
1月29日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu 衣の構造について
衣服の構造は、見た目よりも先に、考え方を表す。 和裁とは、着物とは、仕立て直しを前提とした衣服である。 最初から「一度きり」を想定していない。その思想が、構造のすべてに組み込まれている。 ミシンで縫わない理由は、懐古でも、手仕事礼賛でもない。針目を残さないためである。絹針と手縫い針で入れられた縫い目は、解いて洗うと、不思議なほど跡を残さない。布は元の状態に近づき、繊維は静かに塞がる。 だからこそ、異なる身体、異なる時代に合わせて、再び仕立て直すことができる。同じ布が、別の寸法を受け入れる。その余地を最初から失っていない。 多くの衣服は、完成形を目標に設計される。最終的にどう見えるか、どう見せるかが先にあり、そのために布が切られる。一方で、和裁の構造は逆を向いている。布がまず存在し、その布が、何度関係を結び直せるかが考えられる。 直線で裁たれた布は、身体の曲線を固定しない。歩くとき、座るとき、年月を経たとき。布はその都度、別の位置に落ち着く。その柔軟さは、未完成さではなく、時間を受け入れるための構造である。 親の着物に手を入れるとき、向き合う

Hamanaka Akiko
1月23日読了時間: 2分
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