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PASSIONEER


À la recherche du temps perdu— なぜ和裁は手縫いなのか —
七五三の着物を染め直し、仕立て直した。七歳のときの蝶が、今も舞っている。 私の七五三。この白い着物が、やがて深い紫へと生まれ変わる。蝶の柄は、そのまま次の命へ。 和服が仕立て直し前提の衣服であることは周知の事実です。 和裁用の針はこと更に細く、ミシンの針穴とは異なり、解いて洗うと針穴がふさがります。元の反物に戻ります。よって、新たなものに仕立て直しが可能です。 着物とはかくもサステナブルな衣服です。 着丈が将来のばせるように内揚げをたっぷりとる。 更に子供用には肩上げ、腰上げと、成長に合わせて長さを調節できるように工夫をします。年齢とともにお仕立て方法もかわります。 では、切られなくなった着物を一体どのようなものに変えられるかをお話します。 ひとつの反物を一生の伴侶にする。 振り袖を留袖や訪問着に。 これは一般的によく知られています。 他に長襦袢、羽織やコート、帯へ。 道行は最終形のため、道行から羽織にはできません。 生地により向かないものもあります。 長襦袢は羽裏に。2部式に変えて、羽裏とオソロイなんてゆうのも、お洒落です。...

Hamanaka Akiko
6 日前読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 洋装で見れば、緋色のパンツにド紫のジャケット
緋袴は名古屋帯となり、今もAkikoの腰に巻かれる。祖母から母へ、そして私へ。 この緋色の帯は曾祖母の緋袴を仕立て直したものであり、今も健在だ。 祖母から母へ、そして私の手元に来たときは母の名古屋帯になっていた。祖母が母のために名古屋帯に仕立て直したらしい。 体格のいいわたしには少々短いが背中に手が回る限り締められそうだ。 この宮中で穿く女性用の袴、実は世界に類を見ない仕立て方から成り立っている。緋袴の色に目を奪われて仕立て方までなかなか思いが行きつかないかもしれないが、紐解くとそれはそれは摩訶不思議な仕立て方法になっている。 正式には長袴と呼ばれる。それまでは足首までだった袴が、奈良時代からの石畳の立礼から寝殿造りの座礼に変化したのが影響していると考えられる。 構成は長方形襠布を用いた特殊なもので、その縫製は女袴の他には見られない。材料は主に紅の平絹。あるいは綾だが、曾祖母の袴は平織だ。 引きずって歩いたり、畳の上で擦れたりすることが考慮されているのだろう、非常にしっかりとした密度の高い平絹である。 滑らないので帯として締めるには非常にいい

Hamanaka Akiko
4月23日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 掌の上の御大典
曾祖父母の参列時の服装 1928年、昭和天皇即位の礼のおりの写真。曾祖父母が宮中に参列したときの写真。 このころはまだ京都でおこなわれたらしい。その前の大正天皇即位の礼はなんと、二条城も関連の場として使われたらしい。昭和天皇のときは京都御所(紫宸殿)で執り行われ、2日に渡って饗宴が行われたとか。曾祖父母はこのお式に参列。 掌に残された宮中の記憶——昭和御大典とボンボニエール 衣装は当時の京都大丸に特注。曾祖母はどうしていいやら全く分からないから、当時曽祖父の副官についていたオヤマ氏が全てをとりしきったらしい。おすべらかしも曾祖母の自前の髪。どんなところで結ってもらったのだろう。 日本では大正期から昭和初期にかけて、宮中でボンボニエールをお土産として配ることが通例となり、一応相見積もりさせていろいろなところから仕入れている。 曾祖父母が受け取ったものがどこでつくられたものかはわからないけれど、華族たちが手にしていたものとはやはり作りが異なるかと思われる。 資料を調べると、大饗宴で銀製のモノが配られていることがわかるのだが、曾祖父母がいただいたものは

Hamanaka Akiko
4月16日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 眠り姫、100年の目覚め
1928年、昭和天皇御大典。曾祖母はしきたりに則り小袿姿で参列した。この衣装が、100年の旅を始める。 1928年、昭和天皇御大典に参列した際の曾祖父母の写真。曾祖母は宮中参列のしきたりに則り小袿(こうちぎ)姿で参列。嫁として嫁いだ祖母は、なんと戦後の食糧不足の時期にもこの衣装だけは売らずに手元に残した。姑が生きていたからという理由があるだろうが、それにしても誉だったことがよくわかる。 1958年、曾祖母の孫にあたる私の母が嫁ぐことが決まる。祖母はなんと、この小袿一式を嫁入り道具のひとつとして自ら布団に仕立てた。小袿だから何枚も重ね着をしているのだがそれらをすべて解き、一枚の布に戻した。これも和裁のなせる技。解いて仕立て直しができる。着物ではなく、布団に!祖母は嫁ぐ娘のために布団をこしらえ娘に持たせた。ところが。父と母はこの布団で寝ることはなかった。農家出身の父が、おそれおおいと嫌がったらしい。かくして、布団に変わった小袿は押し入れの奥で長い長い眠りにつく。70年を超す長い長い眠りから目覚めた眠り姫は、今度は異なる相手のために美しさを見せることに

Hamanaka Akiko
4月9日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu/色は変わり、命はつながる
手描きの金彩が白地の宮殿をきらめかせていた——絹に織り込まれたバロックの輝き。 母の成人式の写真 このころはロココ調やらバロック調が着物業界で流行っていたらしい。 戦後の復興、追いつけ、追い越せの風潮と西洋へのとてつもない憧れがデザインに現れている。 母の成人式の着物は白地にエンタシスの柱、宮殿が鮮やかに描かれていたらしい。そして手描きの金彩がふんだんに使われ、宮殿がよりいっそうきらびやかに輝く。 母はその着物で父とのお見合いにでかけ、結婚式でお色直しにこの着物に袖を通した。 春の宴のように華やいだその日、白地の宮殿はひときわ輝いていたに違いない。 いうなれば、父との出会いを一緒に潜り抜けてきた相棒である。 着物は洋装と違い、年と共に色や柄に制限がかかる。 最近は洋服文化が浸透し派手な色目の着物をきることも可能になってきたが、さすがに成人式の振袖を60歳で着ることははばかれる。かといって、捨てるにはおしい。 母の人生を一緒に歩んできた時間の証言者なのだから。 和服は仕立て直しが前提の衣類である。 この大前提の掟にのっとり、わたしは娘の成人式の着物

Hamanaka Akiko
3月26日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu/なぜ世界のデザイナーは縮緬を使わないのか
強撚糸で織られた一越縮緬のシボ。着物の動きとともに美しいドレープを生む。 世界のファッションデザイナーはシルククレープをよく使う。しかし日本の縮緬はほとんど使われない。なぜだろうか。 その理由は単純だ。 縮緬は着物という構造のために設計された布だからである。 まず知ってほしいのは、着物の生地である反物の幅だ。反物の幅は約38cm。この幅がまず世界基準を満たさない大きな理由である。 生地の幅が38cmしかないとなると、洋服のような立体裁断やバイアス利用を考えるとそもそも難しい。これがまず着物の生地が洋服に使われない大きな理由のひとつだ。 現代の着物でよく問題になるのが裄の長さである。昨今は日本人も体格が大きくなり、若い世代は腕も長い。そうすると、反物の幅が38cmしかない場合、同じ地の目で袖を作ることが難しくなる。 西洋服 着物・縮緬 広幅生地(120〜150cm) 反物(約38cm) 立体裁断 直線裁ち 重力で生まれるドレープ 動きで生まれるドレープ 安定した織物構造 強撚糸によるシボ 洋服のように生地を横にして使えばいいのでは、と簡単に思われる

Hamanaka Akiko
3月19日読了時間: 3分


市川純の着物ドレス:構造が身体を横断した瞬間— オリンピック閉会式における蝶々夫人の残響 —
市川純、2026年冬季オリンピック閉会式にて。1970年代着物を再構築したドレス。 2026年冬季オリンピック閉会式。イタリアで活動する俳優 市川純 が登場した。 彼女が纏っていたのは、1970年代の布を再構築したピンクと黒のドレスだった。 それは単なる「リメイク」ではない。それは、構造の転換である。 着物は本来、平面裁断で構成される。布は身体に合わせて裁断されるのではなく、身体が布に合わせて調整される。 しかし今回のドレスは、立体として再構築されている。身体に沿い、動きに呼応し、舞台空間に対して拡張していた。 ここで起きているのは、「保存」と「破壊」の同時進行である。 1970年代の布は記憶を保持している。しかしその構造は変形している。 包む構造(containment)と解放する構造(release)が同時に存在していた。 それは、蝶々夫人 が象徴してきた「東洋」という固定像を、内側から再編集する試みにも見える。 オリンピックという国際舞台において、着物は民族衣装として消費されることが多い。 だがこのドレスは違った。 それは文化の展示ではなく

Hamanaka Akiko
2月23日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 有松鳴海絞りの浴衣と和裁文化|昭和初期の木綿と藍の記憶
祖母が日常着として着ていた有松鳴海絞りの浴衣。洗われながら時間を残している。 昭和初期、祖母が着ていた浴衣。明治初期以降、化学染料が広く普及し、本藍のように手間のかかる染めは急速に姿を消していった。この一枚も例外ではない。化学染料による濃紺。お出かけ着ではなく、常着。祖母は湯上がりに袖を通していた。 襟まわりには、今では考えられないほど厚い晒の汗取り。まさに生活の一部だった。 木綿の浴衣が庶民に広く行き渡ったのは江戸時代後期。木綿と藍は抜群に相性がよく、丈夫で洗えて、夏に適していた。絹は夢の衣服。庶民にとっては麻か木綿。その木綿に「絞り」という技術を加えることで、手間をかけたという誇りと、美しさと、機能性を同時に手に入れた。 なぜ浴衣になると絞りなのか。 代表格は有松鳴海の絞り。江戸時代、街道を行き交う旅人に豆絞りの手拭いを売ったことが始まりとされる。老舗の竹田嘉兵衛商店には、徳川家茂が、妻である和宮への土産として求めたという記録も残る。絞りという技法自体は、はるか古代、大和の時代から続く技術である。 絞りの浴衣を着ると、肌に凹凸を感じる。布と体

Hamanaka Akiko
2月19日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 緋色は、時間のかたちを変えて残る
緋色は老いない。 かたちを変えて、時間だけが残る。 曾祖母が宮中ではいていた緋色の袴。今は帯になっている。若すぎるこの色。 この緋色は曾祖母の生きた証。次の世代へ渡す時がくる。

Hamanaka Akiko
2月12日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu/不完全なまま、次の時間へ渡す
解いてもなお、時間は残る。誰かに大切にされてきた衣服は、次の行き先を静かに待っている。 連れ合いが亡くなったからと着物を数点いただいた。どれもこれも、みな、袖を通して可愛がった痕跡がある子たちばかり。愛されていたことがよくわかる。 自分で袖を通して楽しむこともある。お嫁にだすこともある。 薄物の一つ紋。色味も考えると格が高い。 そんじょそこらに、嫁がせられない。 この子が一番幸せになれる場所を探す。

Hamanaka Akiko
2月5日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu/直せる着物を、あえて直さないという判断
解いたら消えてしまう、先人の手仕事。 茶色の真綿紬。伏見家のお針子が自分の息子のために縫った普段着。けっしていいものではないけれど、昔の手仕事がすぐにわかる丁寧な紬、そしてなにより、皇室で働いた女性の手仕事がわかる、貴重な一枚。 母の友人がわたしの息子にと譲ってくださった。母の友人のお母様がお針子その人だ。 そんな形見のようなたいせつなものをいただくのは気が引けるものの、手仕事をこの目でみたいという、魅惑に勝てなかった。ありがたく頂戴した。 ああ、こんなところも一針入れるものか。 ここで固く結ぶのか。 我が息子に仕立て直して着せることもできるが。 ここは、わたしの教本として残そう。 解いたら消えてしまう、先人の手仕事。

Hamanaka Akiko
1月29日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu 衣の構造について
衣服の構造は、見た目よりも先に、考え方を表す。 和裁とは、着物とは、仕立て直しを前提とした衣服である。 最初から「一度きり」を想定していない。その思想が、構造のすべてに組み込まれている。 ミシンで縫わない理由は、懐古でも、手仕事礼賛でもない。針目を残さないためである。絹針と手縫い針で入れられた縫い目は、解いて洗うと、不思議なほど跡を残さない。布は元の状態に近づき、繊維は静かに塞がる。 だからこそ、異なる身体、異なる時代に合わせて、再び仕立て直すことができる。同じ布が、別の寸法を受け入れる。その余地を最初から失っていない。 多くの衣服は、完成形を目標に設計される。最終的にどう見えるか、どう見せるかが先にあり、そのために布が切られる。一方で、和裁の構造は逆を向いている。布がまず存在し、その布が、何度関係を結び直せるかが考えられる。 直線で裁たれた布は、身体の曲線を固定しない。歩くとき、座るとき、年月を経たとき。布はその都度、別の位置に落ち着く。その柔軟さは、未完成さではなく、時間を受け入れるための構造である。 親の着物に手を入れるとき、向き合う

Hamanaka Akiko
1月23日読了時間: 2分
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