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PASSIONEER


À la recherche du temps perdu — 下着から、ガウンへ
子どもの成長を願った柄が、今は一枚の生地として残る。 Combinaisonにはkimonoで着る長襦袢の生地を使用している。 中古市場では白や薄ピンクの色目が非常に安価で出回っているのが現状だ。 変わったデザインやアンティークものはやはり皆手元に置きたいものだし、なかなか安価には手に入らない。 特に麻の葉模様は産着に当然の意味合いで使われてきた。 麻の葉模様は日本人にとっては縁起物の柄である。麻の葉は強くたくましく成長するため、古来より子供の健やかな成長を願い、親は麻の葉の柄の産着を拵えて子供の無事な成長を願った。それが大きくなると長襦袢になるわけだが、昨今では医療の発達で子供達も無事に成長するため、その真摯な親の願いも変わりつつあり、子供に麻の葉模様の洋服を着せる親は見られない。 長襦袢にしても、皆白やピンクを一枚は手にしているので、2枚目3枚目は他の柄が欲しくなる。そのため中古市場には白やピンクが溢れている。 着物を着る習慣がなくなってきたため、おばあちゃんのたんすに眠っていたものだ。 また、地球温暖化のためかとにかく着物を着ると暑く、絹の

Hamanaka Akiko
16 時間前読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — Combinaisonに長襦袢の生地を使う理由
長襦袢は下着に該当する。 洋装ならスーツの下でも、ワンピースの下でも。基本的に長襦袢だけで室内を歩き回ることはないと思う。 また、長襦袢に使用する生地に決まりはない。 母の襦袢をみると、縮緬、綸子、モスリン、麻、様々な素材で仕立てられているし、派手になった羽織を解いて仕立てられているものもある。 見えないところにこそ、ドキドキが隠れている。 下着なのだから何をきていようが構わない!という考え方もあるし、その一方で、見えないところにこそこだわりたい!というのも日本人の美意識として根強い。 紺や茶の地味な着物の下から緋縮緬の長襦袢が見えたらドキドキするかもしれない。 長襦袢に使用する生地は綸子が最も一般的である。その理由は肌触りに尽きる。 素肌にまとった瞬間に、てれんとろんとした絹独特の触感。繻子織りによるものだ。よく滑るので重ねて着る着物に最適。平織りではこうはいかない。 綸子が光るのも、この繻子織りの構造による。 糸の交差点(組織点)が少なく、糸が長く表面に浮く。平織りは縦糸と横糸が一本ごとに交互に上下するため、糸の表面のあちこちで光が乱反射し、

Hamanaka Akiko
9月24日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 一生物とは
均一ではない糸が、かえって強さになる。 一生物とは。 思い切って買い物をするときにも、使われる言葉。 金額と品物の価値が釣り合っているかどうか、考える。その方程式が当てはまらない時がある。 時間の経過。思い出。歴史。 私が扱う紬。友禅とは異なる素朴な美しさ。 農閑期に売り物にならない屑繭を紡いで自分たちの衣服とした。素朴だが力強い、強い意志を持つ衣服。あまりに頑丈すぎて裏地を何度も取り換える羽目になる紬もある。 密度が高く、激しい農作業にも耐えうる織物。時間の経過がこれらの織物に価値を与える。自然物から産まれた織物は、時と共に人の手も加わり思い出となり、もはや価格とは異なる価値が生まれる。 柳宗悦は、これを「用の美」と呼んだ。使われることによって、初めて完成する美しさ。日常の道具が、使い込まれるほどに味わいを増していく。民藝の思想の核心にある考え方だ。 これは日本だけの感覚ではない。人類学者Igor Kopytoffは、これを「singularization(唯一無二化)」と呼んだ。祖母から受け継いだ銀食器、代々受け継がれる指輪。それらは、使われ

Hamanaka Akiko
9月17日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — なぜ今、Combinaisonなのか
素肌に纏うために、素肌の延長のように仕立てる。 美しい着物の下に着るのが、長襦袢と言われる下着。 これも絹100%手縫いが基本だ。 ところが昨今異常気象のため、日本の夏は暑くてたまらない。ただでさえ着物は全て身につけると夏は辛い。 ブラにノースリーブ、ミニスカート。このようなファッションには暑さ軽減ではかなわない。 よって、夏の長襦袢は麻であったり、省略したり。さまざまな知恵が絞られている。洗える絹、ポリエステル。科学は日々進化する。 中古市場には長襦袢が溢れている。特に白、薄いピンク。誰もが1枚は持っているような代物。 無難な1枚だが2枚目は欲しくない。この子たちの新たなご主人様を見つけたい。 ブラトップと一体化されたスリップが日本では現在主流となり、スリップだけではなかなか需要がない。素肌に絹を纏う習慣が薄れている。 素肌に纏うものだからこそ、違和感なくしっとりなじむ縫製で仕上げたい。はるか昔は手縫いが当たり前であったはず。 スーツの下の戦闘服に、リラックスタイムに。 天然繊維である絹で自分を包み、身体の芯から磨き内側から光り輝く。 新しい習

Hamanaka Akiko
9月10日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 直線の生地に、曲線を教える
直線の生地に、少しずつ曲線を教えていく。 着物は直線裁ちだ。生地幅は約38cm、これを使用する。 combinaisonを作るにあたり、どうしても直線裁ちだけでは不都合が生じる。ドレープの美しさを感じてもらうためには、Aラインが理想的だし、身体の線にもなじむ。 マリリン・モンローのドレスが翻る有名な映画のワンシーン。あれほどには踊らないものの、軽い柔らかな生地は動くたびに身体に吸い付いて色っぽい曲線をえがく。 絹は身体に纏い、動いてこそ美しさを増す究極の素材だ。 直線の生地に、少しずつ曲線を教えていく。 反物幅は変えられないために、非常に型紙を置きにくい。それに、地の目を通して型紙を置かないと光が当たったときに生地の輝き方が異なるのが一目瞭然だ。洋装に反物が使えないのは以上の理由からだ。 とはいえ、胸元の見返し部分は必須でありレースをつけずに生地の美しさのみを表現するには和裁独特のフキの技術は外せない。  レースに頼らず、フキだけで生地の美しさを語らせる。...

Hamanaka Akiko
9月3日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu ― 表と裏の融合。和裁がたどり着いたオートクチュール
祖母が遺したカシミアのコート。その内側に、新しい絹の物語が宿る。 洋装用の絹地。男性のジャケットの裏地とか? イタリア製の洒落た上着に使われそうな。 手のひらに載せると、てろんとした肌触り。 絹特有のものだ。 祖母のカシミアのコート裏地に使用してどういう見栄えか想像することはたやすい。 冒険なのは息子の羽織に使用すること。総裏にして大丈夫か? 12歳の子供に重くないのか? 仕立ててからやっぱり合わなかったでは悲しすぎる。 表は静かなブルーグレー、裏には賑やかな幾何学模様。表と裏、二つの物語。 そんな心配とは裏腹に息子の色無地羽織は大成功を収めた。 薄いブルーグレーのおとなしい色の裏側には ダイヤが連なり、キラキラと輝いていた。 時代が異なり、対象の素材も異なる。 にもかかわらず、この二つの素材は融合し引かれ合い、新しいステージへと旅立つ。 拒絶するのではなく、手を取り合い、庇いあい、何年もの間忘れられていた存在を 今改めて目の前に曝け出した。 絹は生きている。 息をしている。 お互いに話し合い、お互いの都合を考え支え合うのだろうか。...

Hamanaka Akiko
7月30日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu ― 絹糸がつなぐもの
祖母が残してくれたカシミアのコート。黒い毛織りの内側に、フランスの絹が新しい命を吹き込まれる。 フランスの友人が絹の生地をくれた。彼女のおばあさまが保存していたらしい。 幾何学模様の非常に滑らかなしっとりとした、流れる光沢。ああ、絹の輝きと肌触りがしっかりと感じられる。 日本製の絹糸で、リヨンで織られたと信じてる。根拠はゼロ。 「おばあちゃんが持ってたの、でもいつの頃のものかはわからない。私より、晶子の方が上手に使えると思って」 友人はそう言って私にこの生地を譲ってくれた。 決して軽くはない、かといってずっしりとしているわけではない。絹特有の生きている証、息遣いが感じられる。絹は生きているのだ。毛糸と同じく動物性の糸。空気を吸って生きている。 洋装地として作られていることはわかる。着物の羽裏地や羽二重とは全く異なる重量。とはいえ、何十年も黙って出番を待ち続けていた役者をこのまま引退させるわけにはいかない。 私の祖母が残してくれたカシミアのコート。敬意を払って最高のパートナーを見つけた。真っ黒な顔の裏には、キラキラと輝くダイヤ。...

Hamanaka Akiko
7月24日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu ― モンテ・クリスト伯
マルセイユの海と空の境界線、そして袖に宿るChâteau d'If。自ら描いた地中海のデッサンが、友禅職人の手によって世界に一枚のオートクチュールとして生まれた青い訪問着 フランスにいたころはデッサンばかりしていた。毎日ものすごく。今から思えばそんなことは当たり前で。キュビスムを先導したピカソ、「泣く女」を見てるといたずら画に見えるかもしれない。でも、彼のデッサンは息をのむ、圧倒される。基礎がある。 マルセイユにいったとき。地中海を初めてみた。なんと美しく見えたことか。パリには海がないからマルセイユで空と海の境界線が消えた時、ただただ港に座って時を忘れていた。 遠くにChateau d’if が見えた。港の前にはちょうどカフェがあって、テラスに陣取って海を描いていた。周りの人たちが声をかけてくる。 「どこからきたの?」 「何を描いてるの?みせて」 エスプレッソ1杯でテラス席に居座るほど度胸はなくて、 「なにか甘いものある?」 「Tarte au citron. 最高におススメ、夏にぴったり」 パリに住んでいたのにこのTarte au...

Hamanaka Akiko
7月16日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu —線の先に見えるもの
フランスの伝統的な大判画用紙「Raisin(レザン)」に刻まれた、若き日の線の集積。サン・シュルピス教会 学生時代はデッサンや写生に明け暮れていた。石膏の胸像、ヌードデッサン、屋外での写生。さまざまなものに目を凝らし、うつしとっていた。毎日夢中で鉛筆やペンを走らせていた。 フランスの伝統的な大判画用紙「Raisin(レザン)」に刻まれた、若き日の線の集積。右側中段が、あのムフタール通りのデッサン。 ある日ムフタール街に写生に出かけた。それぞれ思い思いの場所を見つけ座れるところを確保し、carton(画板)を抱える。一階がカフェになっている建物を描いていたわたしは、細部を確認したくて建物の前に歩み寄った。車が停まっていて、目の前のボンネットはちょうどよい高さの机になった。 ボンネットの上にcartonを置きペンを握るわたしに、目の前でくつろぐMadameが声をかけようとした。おそらく車の持ち主だったのだろう。ところが、隣に座るMonsieurがそれを手で遮り私に向かってにっこり微笑んだ。 フランスでは、学生や若者、あるいは職を求める人々に対しても、

Hamanaka Akiko
7月9日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu —2枚のスカーフと衣服の記憶
フランスの友人がくれたエルメスのスカーフは2枚。1枚は私が立ち上げたブランドのお祝いにと蛍の思い出と共に贈ってくれた。もう一枚は数年前、旦那様のおばさまが愛用していらしたという一枚。こちらは、絵柄が正統派でこれこそフランスというような貴族が騎乗している柄。どちらも私にはかけがえのない宝物。日本の養蚕業が歴史的にフランスと深く関わり合いを持っていることなどを考えると、これら2枚のエルメスも、より感慨深いものになる。友人が私のために選んでくれた柄だけに、より一層愛着を感じる。エルメスというブランドをどう着こなせばいいだろう。 私が愛してやまない、日本の紬や染め物たちと一緒に。100年を超える手織りの紬。フシだらけの売り物にならない紬は、本来農閑期の冬の仕事として織るものだったが、現在ではその価値が見直されて非常に尊いものになっている。硬く目の詰まった織は簡単には敗れず、激しい労働にも耐えうる素晴らしい衣服だ。その紬を現代の鎧として新しく蘇らせたのが私が作るコート。 100年を超える白紬の重厚な質感に、フランスの気品が美しく溶け込む。ダスターコート「狭

Hamanaka Akiko
7月2日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu —エルメスのシルクと、17年前のリヨンの記憶
フランスの友人から贈られた、エルメスのシルクスカーフ。時を経ても色褪せない、最高峰の手仕事。 2009年。はじめてリヨンを訪れた。学生時代の友人が家族と共にリヨンに移り住んだ。 初めて歩く街は学生時代を過ごしたパリとは全く異なる顔を見せた。 ローマ帝国時代の遺跡が残り、おさんぽコースとして何気なく楽しむことができるし、はるか昔歩いたであろう古代の人々の足音を聞けるような気さえする。 夢中になってデッサンしていたころがふと懐かしくなった。友人も子供ができ家族のために時間を割き自分自身の時間などあってないようなもの。そんな時間旅行を過ごしていた。 お互いに一段落したような気になり、20年ぶりに再会した。お互いの変貌ぶりに驚愕するのはどこの国でも同じだろうが、思い出よりも現在のことを話すことに夢中だった。 Lyonの街は日差しが明るいせいか。または、空がよりよく見えるせいか、広く感じた。建物の色もなんとなく明るく感じた。ところが、旧市街と呼ばれる地域に迷い込んだ途端、異世界を体験する。中世より続く石畳が、空が見えない建物の並

Hamanaka Akiko
6月25日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu— なぜ和裁は手縫いなのか —
洗い張りをされた児玉博氏の型紙のよるそめの反物 なぜ和裁は手縫いなのか。当たり前のようにオートクチュールが行われている。非常に特別なことのはずなのに、古来よりの習慣のためか誰もその希少価値に気づかないし、気づこうとしない。しかしながら、さすがに木綿の浴衣などは、ミシン仕立てが進出してきている。理由は簡単。浴衣など、もう、誰も縫い直してきようなどと思わないし、そこまで着つくす習慣も残っていない。 私が幼き頃は、母や祖母の浴衣がオムツになり、雑巾になり朽ちていった。散々使われてお役目終了となり、土にかえる。 しかし、今現在、布オムツを使用している親がどれほどいるのだろう。果たして、浴衣の残骸布オムツなんて存在するのだろうか? この写真は、単の着物を解いたあと洗い張りをしたもの。 かなり汚れていた単衣だった。 改めてみると、人間国宝の児玉博氏の落款。そして、縞染の染師浅野 榮一氏は児玉氏の型紙しか使用しない。色合いはダルな感じ、手染めの温かみのある、それでいてなんとなく鈍い深み。これはもしかして浅野氏によるものなのかしらと一人考えてしまう日々。..

Hamanaka Akiko
5月15日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu— なぜ和裁は手縫いなのか —
七五三の着物を染め直し、仕立て直した。七歳のときの蝶が、今も舞っている。 私の七五三。この白い着物が、やがて深い紫へと生まれ変わる。蝶の柄は、そのまま次の命へ。 和服が仕立て直し前提の衣服であることは周知の事実です。 和裁用の針はこと更に細く、ミシンの針穴とは異なり、解いて洗うと針穴がふさがります。元の反物に戻ります。よって、新たなものに仕立て直しが可能です。 着物とはかくもサステナブルな衣服です。 着丈が将来のばせるように内揚げをたっぷりとる。 更に子供用には肩上げ、腰上げと、成長に合わせて長さを調節できるように工夫をします。年齢とともにお仕立て方法もかわります。 では、切られなくなった着物を一体どのようなものに変えられるかをお話します。 ひとつの反物を一生の伴侶にする。 振り袖を留袖や訪問着に。 これは一般的によく知られています。 他に長襦袢、羽織やコート、帯へ。 道行は最終形のため、道行から羽織にはできません。 生地により向かないものもあります。 長襦袢は羽裏に。2部式に変えて、羽裏とオソロイなんてゆうのも、お洒落です。...

Hamanaka Akiko
5月7日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 洋装で見れば、緋色のパンツにド紫のジャケット
緋袴は名古屋帯となり、今もAkikoの腰に巻かれる。祖母から母へ、そして私へ。 この緋色の帯は曾祖母の緋袴を仕立て直したものであり、今も健在だ。 祖母から母へ、そして私の手元に来たときは母の名古屋帯になっていた。祖母が母のために名古屋帯に仕立て直したらしい。 体格のいいわたしには少々短いが背中に手が回る限り締められそうだ。 この宮中で穿く女性用の袴、実は世界に類を見ない仕立て方から成り立っている。緋袴の色に目を奪われて仕立て方までなかなか思いが行きつかないかもしれないが、紐解くとそれはそれは摩訶不思議な仕立て方法になっている。 正式には長袴と呼ばれる。それまでは足首までだった袴が、奈良時代からの石畳の立礼から寝殿造りの座礼に変化したのが影響していると考えられる。 構成は長方形襠布を用いた特殊なもので、その縫製は女袴の他には見られない。材料は主に紅の平絹。あるいは綾だが、曾祖母の袴は平織だ。 引きずって歩いたり、畳の上で擦れたりすることが考慮されているのだろう、非常にしっかりとした密度の高い平絹である。 滑らないので帯として締めるには非常にいい

Hamanaka Akiko
4月23日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu — 掌の上の御大典
曾祖父母の参列時の服装 1928年、昭和天皇即位の礼のおりの写真。曾祖父母が宮中に参列したときの写真。 このころはまだ京都でおこなわれたらしい。その前の大正天皇即位の礼はなんと、二条城も関連の場として使われたらしい。昭和天皇のときは京都御所(紫宸殿)で執り行われ、2日に渡って饗宴が行われたとか。曾祖父母はこのお式に参列。 掌に残された宮中の記憶——昭和御大典とボンボニエール 衣装は当時の京都大丸に特注。曾祖母はどうしていいやら全く分からないから、当時曽祖父の副官についていたオヤマ氏が全てをとりしきったらしい。おすべらかしも曾祖母の自前の髪。どんなところで結ってもらったのだろう。 日本では大正期から昭和初期にかけて、宮中でボンボニエールをお土産として配ることが通例となり、一応相見積もりさせていろいろなところから仕入れている。 曾祖父母が受け取ったものがどこでつくられたものかはわからないけれど、華族たちが手にしていたものとはやはり作りが異なるかと思われる。 資料を調べると、大饗宴で銀製のモノが配られていることがわかるのだが、曾祖父母がいただいたものは

Hamanaka Akiko
4月16日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 眠り姫、100年の目覚め
1928年、昭和天皇御大典。曾祖母はしきたりに則り小袿姿で参列した。この衣装が、100年の旅を始める。 1928年、昭和天皇御大典に参列した際の曾祖父母の写真。曾祖母は宮中参列のしきたりに則り小袿(こうちぎ)姿で参列。嫁として嫁いだ祖母は、なんと戦後の食糧不足の時期にもこの衣装だけは売らずに手元に残した。姑が生きていたからという理由があるだろうが、それにしても誉だったことがよくわかる。 1958年、曾祖母の孫にあたる私の母が嫁ぐことが決まる。祖母はなんと、この小袿一式を嫁入り道具のひとつとして自ら布団に仕立てた。小袿だから何枚も重ね着をしているのだがそれらをすべて解き、一枚の布に戻した。これも和裁のなせる技。解いて仕立て直しができる。着物ではなく、布団に!祖母は嫁ぐ娘のために布団をこしらえ娘に持たせた。ところが。父と母はこの布団で寝ることはなかった。農家出身の父が、おそれおおいと嫌がったらしい。かくして、布団に変わった小袿は押し入れの奥で長い長い眠りにつく。70年を超す長い長い眠りから目覚めた眠り姫は、今度は異なる相手のために美しさを見せることに

Hamanaka Akiko
4月9日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu / 着物は完成しない
解いて、広げて、時間をかけて考える。誰の袖を通るのか。90歳になった母のもとへ帰るのか。 1950年代の母の振袖を2010年代に娘の成人式の着物にするため染め変えた。深い深い海の底の色にしたため、金彩のみが浮きだった。神秘的な外見が、娘の未知なる未来を暗示するかのようで、不安や好奇心をかきたてた。 その、染め変えた振袖ももう、着られなくなった。そう、着物は姿かたちをその時々で変えて生まれ変わる。直線裁ちだからこそできる生地の生命。絶えることのない命。着物はただ保管して100年生きるのではない。姿を変えて我々の前に現れる。100年前には想像もしなかったであろう姿になることもある。 娘は振袖はもう着られない。着物には、伝統的な規則がある。この神秘的な深い青をどう活かすべきか。解いて、広げて、時間をかけて考える。 誰の袖を通るのか。90歳になった母のもとへ帰るのか。 ハサミを入れるのはまだ先だ。 そしてもう一枚。赤い小紋も、その役目を終えようとしている。 さあ、この子はどんな形になり、どこへお嫁に行くのやら。 冬は終わりではない。次の命への静かな準備.

Hamanaka Akiko
4月2日読了時間: 1分


À la recherche du temps perdu/色は変わり、命はつながる
手描きの金彩が白地の宮殿をきらめかせていた——絹に織り込まれたバロックの輝き。 母の成人式の写真 このころはロココ調やらバロック調が着物業界で流行っていたらしい。 戦後の復興、追いつけ、追い越せの風潮と西洋へのとてつもない憧れがデザインに現れている。 母の成人式の着物は白地にエンタシスの柱、宮殿が鮮やかに描かれていたらしい。そして手描きの金彩がふんだんに使われ、宮殿がよりいっそうきらびやかに輝く。 母はその着物で父とのお見合いにでかけ、結婚式でお色直しにこの着物に袖を通した。 春の宴のように華やいだその日、白地の宮殿はひときわ輝いていたに違いない。 いうなれば、父との出会いを一緒に潜り抜けてきた相棒である。 着物は洋装と違い、年と共に色や柄に制限がかかる。 最近は洋服文化が浸透し派手な色目の着物をきることも可能になってきたが、さすがに成人式の振袖を60歳で着ることははばかれる。かといって、捨てるにはおしい。 母の人生を一緒に歩んできた時間の証言者なのだから。 和服は仕立て直しが前提の衣類である。 この大前提の掟にのっとり、わたしは娘の成人式の着物

Hamanaka Akiko
3月26日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu/なぜ世界のデザイナーは縮緬を使わないのか
強撚糸で織られた一越縮緬のシボ。着物の動きとともに美しいドレープを生む。 世界のファッションデザイナーはシルククレープをよく使う。しかし日本の縮緬はほとんど使われない。なぜだろうか。 その理由は単純だ。 縮緬は着物という構造のために設計された布だからである。 まず知ってほしいのは、着物の生地である反物の幅だ。反物の幅は約38cm。この幅がまず世界基準を満たさない大きな理由である。 生地の幅が38cmしかないとなると、洋服のような立体裁断やバイアス利用を考えるとそもそも難しい。これがまず着物の生地が洋服に使われない大きな理由のひとつだ。 現代の着物でよく問題になるのが裄の長さである。昨今は日本人も体格が大きくなり、若い世代は腕も長い。そうすると、反物の幅が38cmしかない場合、同じ地の目で袖を作ることが難しくなる。 西洋服 着物・縮緬 広幅生地(120〜150cm) 反物(約38cm) 立体裁断 直線裁ち 重力で生まれるドレープ 動きで生まれるドレープ 安定した織物構造 強撚糸によるシボ 洋服のように生地を横にして使えばいいのでは、と簡単に思われる

Hamanaka Akiko
3月19日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu/Hajitomi, structural silence存在が作者から離れるとき
自ートには、和裁の技術がふんだんに用いられている。実際に着物を着なくても、着物を仕立てる技術を身にまとうことは可能である。このコートは、そのことを物語っている。 表地に用いたのは置賜紬。紬は先染めの糸で織られるため表裏の区別がなく、単衣のコートには理想的な素材である。多少の雨に濡れても染みになりにくく、縮むこともない。 単衣のコートとして成立させるためには、裾に広がりが必要になる。洋服であればAラインに裁断するところだが、着物は直線裁ちで仕立てられるため、その方法は取らない。代わりに「まち」を入れて裾の広がりをつくる。 さらに、長い着丈を落ち着かせるため、裾には真綿を入れている。現在では本物の真綿を用いることは少なく、羽二重やさらしを薄く挟む程度の仕立てがほとんどである。しかしこのJFKコートには、真綿をたっぷりと詰めてある。裾を軽くつまむと、そのふっくらとした感触がはっきりとわかる。 張りのある紬の生地の中に、ふんわりとした柔らかさが潜んでいる。空気を含んだ真綿が長い着丈を静かに落ち着かせ、歩くたびに裾が風に揺れる。 まるで着物のように。 なん

Hamanaka Akiko
3月12日読了時間: 1分
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