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PASSIONEER


À la recherche du temps perdu —線の先に見えるもの
フランスの伝統的な大判画用紙「Raisin(レザン)」に刻まれた、若き日の線の集積。サン・シュルピス教会 学生時代はデッサンや写生に明け暮れていた。石膏の胸像、ヌードデッサン、屋外での写生。さまざまなものに目を凝らし、うつしとっていた。毎日夢中で鉛筆やペンを走らせていた。 フランスの伝統的な大判画用紙「Raisin(レザン)」に刻まれた、若き日の線の集積。右側中段が、あのムフタール通りのデッサン。 ある日ムフタール街に写生に出かけた。それぞれ思い思いの場所を見つけ座れるところを確保し、carton(画板)を抱える。一階がカフェになっている建物を描いていたわたしは、細部を確認したくて建物の前に歩み寄った。車が停まっていて、目の前のボンネットはちょうどよい高さの机になった。 ボンネットの上にcartonを置きペンを握るわたしに、目の前でくつろぐMadameが声をかけようとした。おそらく車の持ち主だったのだろう。ところが、隣に座るMonsieurがそれを手で遮り私に向かってにっこり微笑んだ。 フランスでは、学生や若者、あるいは職を求める人々に対しても、

Hamanaka Akiko
7月9日読了時間: 2分


À la recherche du temps perdu —エルメスのシルクと、17年前のリヨンの記憶
フランスの友人から贈られた、エルメスのシルクスカーフ。時を経ても色褪せない、最高峰の手仕事。 2009年。はじめてリヨンを訪れた。学生時代の友人が家族と共にリヨンに移り住んだ。 初めて歩く街は学生時代を過ごしたパリとは全く異なる顔を見せた。 ローマ帝国時代の遺跡が残り、おさんぽコースとして何気なく楽しむことができるし、はるか昔歩いたであろう古代の人々の足音を聞けるような気さえする。 夢中になってデッサンしていたころがふと懐かしくなった。友人も子供ができ家族のために時間を割き自分自身の時間などあってないようなもの。そんな時間旅行を過ごしていた。 お互いに一段落したような気になり、20年ぶりに再会した。お互いの変貌ぶりに驚愕するのはどこの国でも同じだろうが、思い出よりも現在のことを話すことに夢中だった。 Lyonの街は日差しが明るいせいか。または、空がよりよく見えるせいか、広く感じた。建物の色もなんとなく明るく感じた。ところが、旧市街と呼ばれる地域に迷い込んだ途端、異世界を体験する。中世より続く石畳が、空が見えない建物の並

Hamanaka Akiko
6月25日読了時間: 3分


À la recherche du temps perdu— なぜ和裁は手縫いなのか —
洗い張りをされた児玉博氏の型紙のよるそめの反物 なぜ和裁は手縫いなのか。当たり前のようにオートクチュールが行われている。非常に特別なことのはずなのに、古来よりの習慣のためか誰もその希少価値に気づかないし、気づこうとしない。しかしながら、さすがに木綿の浴衣などは、ミシン仕立てが進出してきている。理由は簡単。浴衣など、もう、誰も縫い直してきようなどと思わないし、そこまで着つくす習慣も残っていない。 私が幼き頃は、母や祖母の浴衣がオムツになり、雑巾になり朽ちていった。散々使われてお役目終了となり、土にかえる。 しかし、今現在、布オムツを使用している親がどれほどいるのだろう。果たして、浴衣の残骸布オムツなんて存在するのだろうか? この写真は、単の着物を解いたあと洗い張りをしたもの。 かなり汚れていた単衣だった。 改めてみると、人間国宝の児玉博氏の落款。そして、縞染の染師浅野 榮一氏は児玉氏の型紙しか使用しない。色合いはダルな感じ、手染めの温かみのある、それでいてなんとなく鈍い深み。これはもしかして浅野氏によるものなのかしらと一人考えてしまう日々。..

Hamanaka Akiko
5月15日読了時間: 2分
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