À la recherche du temps perdu —エルメスのシルクと、17年前のリヨンの記憶
- Hamanaka Akiko

- 7 日前
- 読了時間: 3分

2009年。はじめてリヨンを訪れた。学生時代の友人が家族と共にリヨンに移り住んだ。
初めて歩く街は学生時代を過ごしたパリとは全く異なる顔を見せた。
ローマ帝国時代の遺跡が残り、おさんぽコースとして何気なく楽しむことができるし、はるか昔歩いたであろう古代の人々の足音を聞けるような気さえする。
夢中になってデッサンしていたころがふと懐かしくなった。友人も子供ができ家族のために時間を割き自分自身の時間などあってないようなもの。そんな時間旅行を過ごしていた。
お互いに一段落したような気になり、20年ぶりに再会した。お互いの変貌ぶりに驚愕するのはどこの国でも同じだろうが、思い出よりも現在のことを話すことに夢中だった。
Lyonの街は日差しが明るいせいか。または、空がよりよく見えるせいか、広く感じた。建物の色もなんとなく明るく感じた。ところが、旧市街と呼ばれる地域に迷い込んだ途端、異世界を体験する。中世より続く石畳が、空が見えない建物の並び方が、私を別世界へ導く。

トラブールと呼ばれる狭い道。道とゆうより通路?絹織物の街として栄えた往時の名残。そんな遺産をドキドキしながら友人の案内でしずか~にこそこそと歩いた。
なーんにも考えてなかったあの頃。美しいリヨンの街並み。こうして和裁の技術を世界に伝えたいと自身でブランドを立ち上げるなんてみじんもなかった。
あれから17年が過ぎた。絹の魅力。着物の神秘。和裁の理由を世界の人に知らせたくて私は今自分を奮い立たせている。そんな気持ちに一番最初に喜びと協力を与えてくれたのがLyonに住む友人。彼女はわたしにフランスが誇る最高の手仕事を分けてくれた。エルメスのスカーフ。現在エルメスはブラジルから絹を輸入しているらしい。そして、Lyonと日本の関係は決して偶然ではない。日本に製糸の技術をもたらしたのは当時のLyonの絹糸貿易会社の社員であり、西陣が帯を織るのに採用したのが、フランス人が考案したジャカード機であり、19世紀半ばにヨーロッパで養蚕が大打撃を受けた時にLyonに蚕を輸出したのは日本である。こうしたエビデンスを鑑みると、日本とLyonはとても長い歴史を育んでいる。
友人がくれた一枚のスカーフは単なる美の継承ではない。美しい絹の手触り、輝き、なによりも堅固な紬に華やかな挿し色。100年を超えて耐えうる絹織物同士。これほど心打つ組み合わせがあるだろうか。

You may never wear a kimono. But you can wear the art of Wasai.
On ne porte pas forcément un kimono. Mais on peut porter l'art du Wasai.
— PASSIONEER


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