À la recherche du temps perdu/形態の必然/衣服が存在を始める瞬間
- Hamanaka Akiko

- 3月5日
- 読了時間: 2分
更新日:5 日前
衣服は、裁断された瞬間に生まれるのではない。縫われた瞬間でもない。形になったときでさえ、それはまだ完全には存在していない。
衣服が存在を始めるのは、動き出すことが可能になった瞬間である。
和裁において、その境界を決定する工程のひとつが「フキ出し」である。表地と裏地を合わせ、縁をわずかに調整しながら、針を進めてゆく。
このとき行われているのは単なる始末ではない。それは、二つの層が互いの位置を受け入れ、衣服としての輪郭を確定する作業である。
この工程によって、衣服の動きは決定される。
針は布を貫通するが、破壊はしない。絹糸は布を固定するが、拘束はしない。
すべては、将来解かれることを前提として行われている。
和裁の縫いは、常に可逆性を内包している。それゆえ、この瞬間は完成ではなく、存在の開始である。
フキに詰められるのは真綿である。繭玉をひとつひとつ手作業で広げ、一枚の層へとする。それを細く伸ばし、裾の内部に均等に置いてゆく。
真綿は空気を含み、呼吸する素材である。重さを支えると同時に、動きを妨げない。
衣服が動いたとき、裾はわずかに遅れて応答する。その時間差が、輪郭を生み出す。
翻った瞬間、裏側が一瞬だけ現れ、再び閉じる。その制御は、この見えない層によって行われている。
現在、この工程に真綿を用いることはほとんどない。 均一で扱いやすい晒か羽二重が普及し、効率が優先されるようになったからである。 しかし真綿だけが持つ、不均質で、空気を含み、動きに応答する性質は、衣服の境界を静かに支え続ける。 この一枚には、その構造が必要だった。 それゆえ、真綿が選ばれている。
いま、ひとつの衣服が、その瞬間を迎えている。針が進み、縁が静かに閉じられてゆく。
それは終わりではなく、始まりである。
この衣服には、すでに向かう先がある。それは不特定多数のためのものではない。ただ一人の存在のために、その構造は準備されている。
和裁は一千年以上、この方法を変えていない。それは過去を保存するためではない。
未来において、再び開かれることを前提としているからである。
閉じられた縁は、永遠に閉じられるわけではない。それは、次に動き出す日のために、静かにそこにある。
そしてその瞬間、衣服ははじめて存在する。



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