À la recherche du temps perdu / 有松鳴海絞りの浴衣と和裁文化|昭和初期の木綿と藍の記憶
- Hamanaka Akiko

- 2月19日
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更新日:5 日前

昭和初期、祖母が着ていた浴衣。明治初期以降、化学染料が広く普及し、本藍のように手間のかかる染めは急速に姿を消していった。この一枚も例外ではない。化学染料による濃紺。お出かけ着ではなく、常着。祖母は湯上がりに袖を通していた。
襟まわりには、今では考えられないほど厚い晒の汗取り。まさに生活の一部だった。
木綿の浴衣が庶民に広く行き渡ったのは江戸時代後期。木綿と藍は抜群に相性がよく、丈夫で洗えて、夏に適していた。絹は夢の衣服。庶民にとっては麻か木綿。その木綿に「絞り」という技術を加えることで、手間をかけたという誇りと、美しさと、機能性を同時に手に入れた。
なぜ浴衣になると絞りなのか。
代表格は有松鳴海の絞り。江戸時代、街道を行き交う旅人に豆絞りの手拭いを売ったことが始まりとされる。老舗の竹田嘉兵衛商店には、徳川家茂が、妻である和宮への土産として求めたという記録も残る。絞りという技法自体は、はるか古代、大和の時代から続く技術である。
絞りの浴衣を着ると、肌に凹凸を感じる。布と体のあいだを空気と風が通り抜ける。日本の蒸し暑い夏に、べたつかない。これが機能的理由のひとつ。
しかし理由はそれだけではない。
限られた夏という季節のために、布を一粒ずつ括り、細かな模様をつくる。まるで汗の一粒ひとつぶを吸い取るように。なんと贅沢な仕事だろう。
有松鳴海の絞りは、ひとりの職人がひとつの技法を担う。四種類の絞りがあれば、四人の職人が関わる。分業によって高度化された、緻密な手仕事の結晶。
そして和裁は、仕立て直しを前提とする世界でも稀有な衣服文化。解いて、洗い、また仕立てる。直線裁ちだから形は変わらない。百年前のデザインが、少しも古びない理由がそこにある。
絞りは、洗うたびに凹凸が少しずつ平らになっていく。経年劣化。だがそれは、愛された時間の証明でもある。
今は洗濯機で丸洗いできる。暑さは昔より厳しく、着るたびに洗う時代になった。それでも、少しずつ平らになったその布に、祖母が生きた時間が刻まれている。
わたしが袖を通すと、祖母の愛した時間につながる。
だから、やめない。ほどいて、洗って、また仕立てる。直線裁ちの百年前の絞りの浴衣は、いまも流行遅れではない。 À la recherche du temps perdu 衣の構造について — 継続中

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